ベーチェット病と診断されるまで・・・7
ベーチェット病と診断されるまで
前回の続きです。
入院しながら就職活動
入院1週目、興味のある企業を絞って2日ほど就職活動をしました。
病院からリクルートスーツを着て外出し、終わったらまた病院に帰ってくるのです。
目薬で瞳孔が開いたままなので、外が眩しかったり、物が見辛かったりしましたが、自分の将来に関わることなのでがんばりました。
外出や食べ物などに制限がなかったのは良かったです。
入院2週目、両目ともやられ、目が不自由になってから就活をお休みしました。
説明会も面接も泣く泣くすべてキャンセルしました。
中には事情を話して面接延期のお願いして、退院まで待ってくれる企業もありました。
が、右目もやられてから精神的に追い詰められていたこともあり、最終的にはお願いしておいた私からお断りしてしまいました。
今でもあの企業の寛容さは忘れません。
そして、あの企業のファンです。
ありがとう、〇〇産業さん!
とうとうベーチェット病と診断されました。
入院して10日目。
左目がぶどう膜炎になって11日目。
右目がぶどう膜炎になって3~4日目。
左目は当初より落ち着いていました。
右目はステロイド注射の影響か、既に当初より落ち着いていました。
白いもやもやも当初より落ち着いていました。
つぶつぶ飛蚊症軍団だけは、元気いっぱいでした。
その頃、先生に話したいことがあるからお母さんも呼んで、一緒に来てほしいと言われました。
いよいよ宣告されるんだろうな、と重い気持ちで母親と指定された部屋に足を運びました。
もう、何もかも受け入れる覚悟はできていました。
先生から宣告されたことは以下の通りです。
・両眼とも突然発作が起き、時間が経つと炎症が治まっていく。
・口内炎ができる。
・様々な検査をしたが他に異常がない。
・よって、ベーチェット病(不全型)と診断します。
続けて先生は、今後のことについてお話しました。
・ベーチェットは難病指定の病気で科学的根拠は不明である。
・一生付き合っていかれければいかない病気である。
・定期的に病院に通う必要がある。
・また突然目の発作が起きることがある。
・今後他の症状も増える可能性がある。
・炎症を抑える薬、コルヒチンを飲み続ける必要がある。
・コルヒチンを飲んでいる間、妊娠することはできない。
簡潔にまとめると、このようなことを宣告されました。
今までこのようなこととは無縁だった私にとって、覚悟はしていたものの、ものすごくショックな出来事でした。
隣りで聞いていた元気が取り柄の母親も、さすがにこのときばかりは今まで見たことのない暗い顔をしていました。
私と同じ気持ちだったことでしょう。
今後一生通院・投薬しなければいけない原因不明の難病。
もう一生治らない、いつか再発するかもしれない難病。
そして・・・妊娠することはできない難病・・・・・
当時まだ22歳の私でしたが、妊娠することはできない、という言葉は、頭の中で何度も繰り返されました。
20分ほどの間に、衝撃的な宣告をたくさん受けましたが、中でも最もきつい言葉でした。
号泣。そして号泣。
そのままどう病室に戻ったか覚えていません。
ふわふわしていたような気がします。
夢か現実かわからない、生きた心地がしない、とはこのような状態のことをいうのでしょう。
その夜、私は号泣します。そして、更に号泣します。
1人、病室のベッドの上で、周りの迷惑にならないよう、ぐずぐず泣き崩れます。
涙を我慢しようとしても、自然と溢れ、流れてくるのです。
「私、難病なんだって。」
「私、失明しちゃうかもだって。」
「私、赤ちゃん産めないんだって。」
本当に涙がとまりません。
これまでの人生の中で一番泣きました。
人間、こんなに涙が出てくるんだなってくらい泣きました。
一生分泣きました。
そのまま寝に落ちましたが、夢の中でも泣いていました。
続く・・・(次が最終章です)