ベーチェット病と診断されるまで・・・8(最終章)
ベーチェット病と診断されるまで(最終章)
前回の記事の続きです。
先生、コルヒチンこわいよ
翌日、いつもと変わらない朝が来ました。
看護師さんがカーテンをサーっと開けて、起こしにきてくれます。
泣きすぎて、目が腫れて、まぶたが重かったです。
これが噂のコルヒチンです。
思ったよりちっぽけな薬でした。
こんなちっぽけなのに、妊娠してはいけないとは、何様なんだ。
見かねた看護師さんが「大丈夫だよ。先生に相談してくるね。」と言ってくれ、なんやかんや飲まなくていいことになりました。
これを飲んだら、今までの自分じゃなくなるような気がして、こわかったのです。
その先生はベーチェットに詳しく、患者さんの気持ちに寄り添ってくれる優しい先生です。
私は先生にいろいろな質問をし、先生は1つ1つ丁寧に答えてくれました。
・そういやあんなこともあったな~って感覚の人もいるよ。
・コルヒチンはそんなに強い薬ではないよ。
・痛風とかで使っている人もいっぱいいるよ。
・確かに妊娠には禁忌とされているけど、大丈夫な薬も開発されてきてるよ。
・ベーチェットの中で最も危険なのは眼症状だから、今はそれを再発しないようにすることが優先じゃないかな。
そして、先生の言ってくれたことに納得して、私はコルヒチンを飲むことにしました。
退院の日
入院したK大学病院には2週間弱お世話になりました。
長いようであっという間の2週間、いろいろなことがあった2週間でした。
私の人生が一変した場所であるので、8年経った今でも、入院生活のことは忘れません。
今は違う病院に通院しているのですが、あのときお世話になった、先生たち、看護師さんたち、患者さんたち、は元気にしているでしょうか。
コルヒチンを飲んだ翌日、最後の検査をして退院することになりました。
お世話になった方々に深々とお礼をし、病院を出ました。
原因不明の難病だけれでも、病名はつきました。
ようやくスタートラインに立ったのだと思いました。
空は雲一つない快晴。
つぶつぶ飛蚊症軍団が泳いでいます。
お前たち、早く消えてなくなれ、解散!!
と入院直前に思ったことと、同じことを念じていました。
そう思ったのもつかの間、目薬で瞳孔が開いたままのせいで、空が眩しすぎます。
視野欠損もまだあるので、まともに前が見えず、駅の方向がわかりませんでした。
近くにいた女性に声をかけました。
「すみません、目があまり見えないのですが、駅はどこですか?」
女性は親切に駅まで案内してくれました。
ここで早速、「今までできていたことができない。」ことの辛さを実感します。
スタートラインに立ったばかりだというのに、既にこけそうでした。
そんなこんなで無事退院の日を迎え、私の入院生活は終わりました。
最後に・・・
つたない文章でしたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これは2009年3月頃の出来事になりますが、症状が出てから診断されるまでの期間は、今でも昨日のことのように思い出すことができます。
ただ、この8年間思い出すことはできても、思い出さないようにしていました。
なぜならば、私の唯一の暗すぎる、辛すぎる過去だからです。
今までそんな過去に蓋をし続けてきましたが、ふと書いてみようと思いました。
それは、この私の過去を記録することによって、いつか、どこかの、だれかの役に立つかもしれないからです。
実際私自身、いろいろなサイトやブログで情報や共感を得ることができました。
特にブログを読むと「私だけじゃないんだ!みんながんばってるんだ!」と前向きな気持ちになることができます。
今度は自ら発信して、少しでも何らかのお役に立つことができれば、私は私の過去を、初めて肯定できる気がするのです。
これからも私は病気と向き合っていきます。
そして、発信し続けていきます。
ブログのタイトル通り、難病に勝つ!治す!幸せになる!のが目標です。
共にがんばりましょう^^
しいなより いつかのあなたへ(2017.4.29)