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2009年にベーチェット病と診断された30代♀の備忘録。 そろそろ妊活します・・・

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難病患者が7年間勤めていた大好きだった会社をやめた理由

こんにちは、しいなです^^

 

さて、今日は私の前職の話を書いていきたいと思います。

 

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私は2017年3月に7年間勤めていた仕事をやめました。

厳密にいうと有休がたまりにたまっていましたので、今月5月退職扱いになります。

先日国民健康保険国民年金への切り替えが完了し、改めて退職したんだなぁと実感している次第です。

 

その会社は第一志望であり、新卒で入社しました。

就活中に入院してしまった私は、病院からリクルートスーツを着て説明会や面接に参加し、また病院に帰ってくるということもしていました。

 

今ではよく言ったな~とある意味感心するのですが、当時まだ学生で正直者だった私は、採用担当者に持病があることを伝えていました。

それでもその会社は私を採用してくれたのです。

 

そのご恩とご縁を胸に、やる気満々の私はバリバリ働きました。

ぶっ倒れるときもありましたが、それでもそれを巻き返すくらいがんばりました。

 

最初は営業職でしたが、新卒にして当時の先輩たちを差し置いて、営業成績1位に輝きました。

当時は「やばい新人がきた・・・」と噂になっていたみたいです。

その後もリーダー職や新規プロジェクト部署に配属され、結果を出し続けました。

上司からも後輩からも、私は女性初の管理職になるんだろう、と期待されていました。

 

そんな傍から見るとバリバリのキャリアウーマンに見えた私が退職すると知ったとき、驚いた人はさぞかし多かったようです。

 

退職理由として会社には「新しい事業を始めるため」と言っています。

これはメインの理由なので、嘘ではないのですが、その裏側には複数の理由があるので、ここにまとめていきたいと思います。

単なる愚痴に聞こえるかもしれませんがご容赦ください。

 

 

大好きだった会社をやめた理由

①休みがとりにくい文化である

その会社は基本的な休みは土日のみで、祝日はありません。

なのでゴールデンウィーク、シルバーウィークもなければ、お盆休みや年末休みもありませんでした。(年始3日間は休みでした。)

職種によっては土日も出勤して、平日に代休を取る流れなのですが、取れないこともしばしば。

 

営業職のときは、チームの数字が達成できなそうだと、「え、代休とるの?」的な空気を出されていました。

自分の数字は優に達成しているのにこれですからやる気なくしますよそりゃ。

わかりますよ、チームですから、目標があってチームでそれを達成しないといけないことはわかりますよ。

でも少なくとも自分は200%達成しているので、何らかの対価はいただきたいものです。

給料に反映されるわけでもないですし。

 

そもそも私に関しては3ヵ月に1回の通院があったので、平日に休みをとらなければいけません。

なので、私は文句を言われながらも、なんとか代休を死守していました。

不器用な私は、新卒のとき上司に持病のことは言えなかったので・・・。

 もちろん、そんな会社に有休という概念は全くありませんでした。

 

そのため、私の中では「通院ができるようがんばって働き、できるだけ文句を言われないよう代休をとる。」という公式ができあがっていました。

頭では「私が選んだ会社なんだ。」「これが社会人というものだ。」「目標達成が最優先事項なんだ。」と納得できるようにしましたが、心は違和感だらけでした。

 

②とにかく通勤が辛い

まずありがちな話ですが、満員電車です。

おかげさまで今でも電車嫌いで、極力乗りたくはないです。

 

サラリーマンやOLがみんな似たり寄ったりな格好をしてあの小さな箱にぎゅうぎゅう詰め。

更に、みんなピリピリムードでいつ喧嘩が勃発してもおかしくない、殺伐とした空気。

しかも、毎朝、毎晩。

なんていう罰ゲームなのでしょう。

それでも何年、何十年とそれを続けている方がたくさんいらっしゃるので、本当に尊敬しています。

私には無理でした、、これからも無理でしょう。

 

そして通勤時間も辛かったです。

旦那の職場と私の職場が全く違う場所だったので、結婚してからその中間地点に住み、お互い2時間弱かけて通勤していました。

往復4時間となりますが、、バカみたいですよね。

残業して帰ったらお互いクタクタで、家事もおろそかでした。

 

電車での時間を有効に使えるよういろいろ試みました。

本を読んだり、音楽を聴いたり、動画を見たり、ネットサーフィンしたり、、

それでも家やカフェでまったりとそれをするのとは訳が違います。

いつ何が勃発するかわからない殺伐とした満員電車でやるのですからね。

相当気を遣います。

男性の方はもっと大変ですよね。

今流行りの痴漢冤罪で人生棒に振る可能性もありますからね、まさに戦場ですよね。

 

乗り換えも2回はあったので、次かな~次かな~と余計なことを気にしながらの作業なので、なんだか集中できません。

実際それで乗り過ごすことも何回かありました。

本当に辛かったなぁ。

 

③会社が古い、ぬるい

その会社は割と歴史のある会社でした。

名前はある程度知られていると思います。

だからこそ、昭和的な古い考え方がまだ残っているのですよね。

つまり「残業している=仕事できる、仕事している」「休まず仕事をしている=かっこいい」など。

 

過去の成功体験や持論を持ったまま上の立場になった人たちが、現在でも同じ方法を取ろうとしているのが原因でしょう。

もちろんそれらは大事だし、為になることもたくさんあります。

しかし、それが全てではありません。

時代がもう違いますから、過去の良いところをふまえた上で、現代にあったやり方をしていかないと、組織は近い将来必ず傾きます。

 

また、ぬるいです。

大企業病というのでしょうか、組織に属すことに満足し、危機感もなく、ぬくぬく過ごしている保守的な人がたくさんいます。

どうなるかというと、真面目に組織のことを考えている人やできる人が損をするし、面白くないのです。

 

そういう人たちもいるから社会は成り立っているのも理解していますし、そういうぬるい考えを持って生きるというのも一つの賢い生き方だと思います。

ただ、良い悪いは別として、私にはあいませんでした。

 

 

以上のような思いが募り、私は次第にこう考えるようになりました。

 

・周りを気にせず、もっと自分のペースで働きたい

・自分の努力がそのまま結果(報酬)となる仕事がしたい

・自分のできる範囲でもっと新しいことに挑戦していきたい

 

 社会人3年目あたりからこのようなことを思っていましたが、実際に行動に移すのに、7年かかりました。

お金も溜まってきて、考えも固まってきて、まぁまぁ良い時期なのではないでしょうか。

 

ちなみにフォローしておくと、前職は大好きでした。

理念、ビジョンには共感していたし、働いている人は良い人ばかりで、面白い人もたくさんいました。

いろいろなことを学ばせていただいて深く感謝しています。

 

ただ、私は自分のためにも会社をやめることにしました。

もし病気になっていなければ、ここまで考えたのかもわかりません。

それに旦那が働いてくれていることで生活の基盤があり、私の考えに対して理解があったからこそ、こうして安心して決断することができたということも大きいと思ってます。。

 

この環境や周りの人への感謝の気持ちを忘れず、これからもゆる~り自分らしくがんばっていきたいと思います^^

 

 

 

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